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歯の治療今昔物語!

今昔虫歯物語

今日はちょっと変わったところで、昔の歯の治療について見ていきましょうか。
今は歯が痛くなると歯科医院に行って治療しますけど、昔昔の歯の治療ってどうしていたんでしょうね?

縄文時代の遺跡から発掘される人骨を見ると

虫歯が悪化して死亡に至ったのでは?

と思われるものもあるんだそうです。
ちなみに、古代エジプト時代の人骨から虫歯の治療痕があったという話を聞きます。
しかし一方で、宗教的な儀式の一つで歯に加工をしたのでは?とも言われています。
どちらにせよ、

食べることが出来なくなる=死 

に繋がる時代、虫歯は命取りだったのかもしれませんね。

最近で有名なのが「別名虫歯将軍 徳川家茂」
歴史に疎い私でも大河ドラマ「篤姫」で覚えたこの家茂。
第14代将軍家茂は出っ歯で最も虫歯が多かった将軍の一人だったんだそうです。
1958年から1960年にかけて行われた増上寺徳川将軍家墓所の改装に伴う発掘調査記録で家茂のアゴの骨も出てきたそうです。
ソレによると、彼の32本ある歯のうち親知らず1本は完全に抜けており、残りの31本のうち健康な歯はわずか1本しか無かったそうです。
家茂は大の甘党で21歳で亡くなる前にまで届いた見舞い品は 白砂糖・ぜんざい・氷砂糖 etc・・・といった甘いものばかりだったそうです。

しかも、家茂だけではなく、この時代の江戸城での砂糖の消費量はものすごい量だったそうです。
文化文政の頃(1804~1830年頃)には江戸城だけで、1日に白砂糖600kgが消費されたという記録まであるそうです。
勿論江戸城にはお殿様だけでなく、幕府を支える人々や大奥も存在していたので、そのためでしょうが、それにしてもすごい量ですよね。
そのせいか大奥の女性にも虫歯なっている人が多かったんだとか。

しかし、この家茂氏、これだけの虫歯なのに、歯が治療された痕跡が無いんだとか。
江戸時代より少し昔の室町時代には幕府専属の口中医が居たそうですし、江戸時代には幕府や藩にはお抱え医師の中に、口や歯を専門に扱う医者がいたそうです。
この時代の口中医は医者の中でも手先が器用で歯科治療に興味があった人間が行っていたそうで薬剤を使って痛み止めをしたり、抜歯をしていたそうですよ。
それなのに、家茂の歯に治療痕が無いのは「?」です。
ひょっとしたら、家茂は大の医者嫌いだったのかも?!?

と、裕福な人々について話してきましたが、庶民と呼ばれる人々はどうしていたのでしょう?
このころには歯磨きの習慣もあり、塩と「ささら」とよばれる歯ブラシの原型のようなものでみがいていたそうですよ。
砂糖など甘いものを食べることが少なかったとはいえ虫歯が全くなかったわけではないようです。
治療は上層階級やお侍さん、裕福な家庭にとどまっており、医者にかかれない人々の間では民間療法が主流だったようです。

神社への参拝や奉納、願掛けをしたり守り札を頂いて来たり、鍼やお灸、生薬で痛みを和らげたり、売り薬を買っていたそうです。
参拝だと、みろく菩薩・白山神社・戸隠明神・歯痛観音・千手観音・薬師如来といった神様に願掛けして、自分が使っている箸や線香、楊枝などを奉納していたそうです。

ちなみに、既婚女性が付けていた「お歯黒」
日本の開国と共に明治政府が禁止令を出したためすたれていきましたが、「お歯黒」には虫歯予防の効果があったんですよ。
というのも、お歯黒の材料が五倍子粉と鉄漿水だったからです。

五倍子粉というタンニンを含む物質は歯や歯肉のたんぱく質を凝固させて細菌から歯を守る作用がありました。
鉄漿水はその主成分が第一鉄イオンで、エナメル質の主体であるハイドロキシアパタイトを強くして耐酸性を向上させたり、呼吸によって酸素と反応して歯の表面をコートします。
それに、お歯黒は歯が汚れていると付きにくかったので楊枝でよく歯垢を取って塗っていたそうです。
これも虫歯予防に役立っていたんでしょうね。

現代にお歯黒を復興させるのも面白いかもしれないですね。