アナタのうちだ!歯科医院物語り目次
はじめにお読みください
著者近影です。
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第1章 誕生時点で唯我独尊?
「うゎ~ん!!うゎ~ん!!かぁ~ちゃ~~ん!!うぇ~ん!!」
ひときわ甲高い声で、八女市民全員にでも聞かせるつもりかと思える大声で泣き叫ぶ男児の声が、戦後5年も経っていない、まだ数少ない住宅地の家々の間に響き渡る。
「あーんらっ!だりがマシチャンばこげんか目に合わせたのー?」
(あらあらあら、誰が雅ちゃんをこんなにしたの?)
庭のミカンの木にしっかりと縛り付けられて泣き叫ぶ我が子を見つけた母親は紐を解こうと縁側から駆け降りた。
「うわぁ~ん、おかあちゃ~ん。お兄ちゃんに縛られたぁ~!!」
母親が助けに来たために今まで以上に大げさに泣いてみせる男児。
「ばってん、こんやつが、みーんな楽しみにしとった庭のみかんばまだ青かつに千切ってしもうたつよ!!ほら!これば見てんね、お母さん!」
(だってコイツ、皆が楽しみにしてた庭のミカンをまだ青いのにちぎったんですよ!!ほらっ、これ見てよ母さん!!)
母親の後を追うように部屋から縁側へ躍り出てきた長男の手には、まだ青く到底食する事はおろか、皮さえ剥けなさそうなミカンが3個。
平成22年現在で50歳以下の人には、この時代の食糧事情はピンとこないかもしれない。
歴史では飢饉と言う言葉を知っていてもそれがどんなものか知る人は居ないだろう。
筆者はアラフォーではあるが、田舎育ちの野生児だったために遊びに夢中になりすぎて、山で遭難することが幾度かあった。
その度、大抵は何かしら食べられる物を見つけ、無事に帰宅することが出来たのだが、冬ともなると勝手が違った。
食う物が無いとなったら全く無いのだ。
おそらくは飢饉とはこんな感じではなかろうかと思ったことがある。
飢饉とは天候による物なので、「木の実や野菜が無いだけだろう。それなら鳥や魚を取って食べればいい。」と考えるのは早計だ。
なぜなら人間以外の動物もみな飢えているのだ。
山に行っても河に入ってもことごとく食い荒らされた後で何も残っていない。
夕暮れに気がつかずに好奇心の赴くままに、いくつも山を越え峪を超え沢を渡り、気がつけばどっちが帰り道だったかすら判らないほどの山奥にいた。
しかも季節は冬。
おおよそ食べられそうな物は何も無い。
その時の恐怖は今も忘れない。
迫る夜の闇と寒さと飢え。
それでも今の時代、懐中電灯もあれば拡声器もあった。
おかげで村の青年団の若い衆が山まで探しに来てくれたために現在もこうして何とか生き延びている。
しかし、この男児の時代はまだまだそんな便利な物はなかった。
しかも食糧事情は飢饉ほどではないにしても、みんな、いつも腹を空かせていたと言ってもよいほど過酷な物だった。
そんな中で庭先に結実したミカンをどれだけ家族が完熟するのを待ち望んでいたか想像に難くない。
だがこの男児、雅則坊やにとっては、それは単なる食料と言うよりは、みんなの脚光を自分へ向かせる格好のチャンスに写ったに違いない。
まだ5歳に満たない彼と長男の歳の差は実に13歳。
実のところ、雅則坊やには彼が生まれる前に上に2人の兄が居たが、あまりの食糧事情のひどさに耐え切れず腐った食べ物に手を出し、それが原因で他界していたのだ。
自慢げにちゃぶ台へ放り出した青いミカンを見た途端に長男は我慢しきれずに怒鳴った。
言うが早いか、眼を白黒させながら雅則坊やは玄関から脱兎のごとく飛び出していったが、そこは悲しいかな歳の差にはかなわず、あっけなく兄に捕まり冒頭の状態へと相成ったのである。
またある時は、近所のおにーちゃん達の真似をして、市内を走る路面電車の線路に石を積み、電車が通り過ぎる際に爆発音のような音でその石が飛び散らかるのを面白がっていた。
そして何度も繰り返してるうちにとうとう大人にとっ捕まり、両親共々こっぴどく叱られた事もあった。
概ね、好奇心の強い、一般的な『イタズラ坊主』だったようだ。
そんな彼に転機が訪れたのは彼が8歳の時である。
父親が田舎の小学校の校長として赴任することになった。
もちろん栄転であるが、上の兄弟は皆、高校や大学へ通っていたために、市内まで何時間も掛かる八女郡の山奥の田舎へ一緒に行くわけにも行かず、結局連れて行かれたのはまだ小学生だった雅則少年だけだった。
妖精の住む村 矢部村の転校生
「まぁだぁ?」
退屈そうに、バスの座席からずり落ちんばかりにダラリと座っている雅則少年が尋ねる。
車窓から見える景色は、さっきから同じ道を堂々巡りしてるような代わり映えのしない山々だけである。
この質問もこれで5度目であった。
「そげん早よは着かんばい、チャンと座っとかんね。」
(そんなに早くは着きませんよ。ほら、チャンと座りなさい。)
母親に言われ面倒くさそうに座席に座りなおす雅則少年。